スプレー缶で染める色

「秋に咲いた桜は次の春も咲けるのだろうか」

 

最初から最後までこの台詞について考えた。

秋に咲く桜とはから始まり最後にマミの白い服で桜の花びらの散るシーンまで全て。何を伝えたかったのか何を示したかったのか。答えを探し続けた結果に秋に咲いた桜は葛藤の自分(現状)次の春も咲けるは本来あるべき姿。かなと

 

・服装の変化

初めはベージュ(下も上も)それがだんだんマミとの関係が深まるにつれ、マミの真っ黒がだんだん深馬(ミウマ)に侵食していく。スボンが黒になる。深馬が倒れたあとの病院は白と黒の中間の灰色。きっと中間の彷徨いを示す。彷徨いと迷いを示す。

 

現実に縋りたかった深馬の最後のセリフは

「もしもし」

「僕だけど」

「あのさ」

「今から会えないかな」

杏奈への縋り。現実部分を支えてくれた縋り

 

マミ「私がいれば、君は何にだってなれるんだよ」

 

結局マミは存在しない人物なのは分かっている。そしたら深馬にとっては何....?とここでみんな疑問が頭に浮かぶ。初めは全部夢だったで終わらす予定だった。けどそれはすぐに屈がされた。夢なんかじゃない、深馬は二重人格もしくは精神病に犯され幻を見ていたのかもしれない。それが正しいのかもしれないけど、加藤シゲアキ先生はきっと答えを作っていない、答えそんなのないよ、自分がそう思ったのが答えそのものだ!と笑顔で言う人。恐ろしい。桜の樹の下には死人が埋まるやだから白い衣装、そして、なぜマミを女性に置いたのか。桜は綺麗なもの。それは、女性は清らかと示したかったのか。6本の指と手形を残す。これも何かをきっと暗示しているのだろうなあ。再生、葛藤、現状、きっと自分の今いる立ちと迷いが全て

 

そして、先生が偽物の犯人だとバレた時には確信した。あ、先生の世界だ!作品をマミに壊されたとなってるシーンも。あ、先生の世界観だと。

 

 

 

「1度ついた染みは消えない」

きっと永遠に彼の心を染め続ける。一生なくなることはないのだ。色が彼を染めるの。そしてまたきっとマミという黒い塊が姿を現し彼をはぶらかすの。「また死ねなかった」「作品を作り上げることが怖い」「作り上げることが死ぬことと同じなんだよ」が心の叫び。

 

 

最後に個性のない正門さんだから加藤シゲアキ先生の世界観に混ざりやすかったのか、それとも器用だから混ざれたのか。きっと先生の世界観に染まりやすかったのは事実かもしれないし、先生と重なる部分がどこかあったのかもしれない。久しぶりに化け物をと化け物の作品を見たなと始終ニヤニヤしてしまったのとそこには正門がいなくてそこに居たのはずっと存在してたかのような深馬しかいなかった。果たして彼は染まらないのか、それとも役を割り切るタイプなのかと。ポリダクトリー(完)