目の細いドラムに落ちた話。

少し遡ること1年半前の話。




約4年?5年?の間、2019年の3月31日まで....の間いや、わかる人には分かるだろう。この年のこの日に関西Jrにサヨナラをジャニーズにサヨナラを告げたのはきっと彼だけだから。






小島を見ると今でも仲良くしてくれてたなとか
今江くんを見ると隣にずっとベッタリ居たのになとか時々思う。






重く言うと彼に青春を捧げた。
初めてバイトというものをして彼に捧げた。
彼に会うために必死にオシャレをした。
高校を卒業と同時に化粧もした。
なんなら付き合ってた人にまで彼の写真を
見せて、かっこいいというお言葉まで強制に頂いた。
団扇も必死に作った。
SNSに写真が上がった時は泣かなかったけど、次の日彼が舞台から姿を消した時は泣いた。
(付き合ってるのは構わないし、それを隠し通せば自分的にはOKだと思っていた)
目の前で彼の団扇が売り切れたこともあった。
アイドルの彼と初めてハイタッチして死ぬほど喜んだ秋頃もあった。
初めて最前を当てて、同じ好きな友達とうだうだ言いながら死にかけたこともあった。
どんなけ遠い席でもよく周りを見てくれててファンサをくれる時もあった。
ファンキーなお兄ちゃんたちがばらばらになって彼がグループに所属してなかった時は怒り狂っ他と同時にかなしくもなった。入れた人達のファンが羨ましかった。
自分の誕生日に貴方に会いに行った。









彼が辞めるとどこかで感じ取ってた滝沢歌舞伎が最後に見た彼の姿だった。















彼が居なくなった。












でも気持ちの整理はどこかでしてたから割とショックはなかった。







けど心は空っぽになった。







途方にもくれたし、ジャニヲタをやめようとまで思った。(関ジュのヲタクは辞めるって周りにめっちゃ言うてた)






でも、彼と同じぐらい(担当ではなく顔が好きだったけど彼が好きすぎたので担当にはできなかった。)の年月を見守ってきた末澤誠也がグループに入り、東京で公演をすることを知り最後に見に行こう、これを最後に関西の現場は離れようと思い末澤担の母を連れて1日しか休みのない中、東京へ行った。




これが悪夢の始まりでもあり私と自担くんへのちゃんとした出会いになるのだ。






当時はほぼモチベゼロで挑んだ。






なのに、なのに、悔しいくらい、私のど真ん中を貫いた。元々バンドマンが好きで箱に行くくらいだったので本当にバンドスタイルがドンピシャに刺さった。




公演が終わった後時間が無くすぐ新幹線に飛び乗ったが東京から大阪までの区間約2時間半


私の頭の中は ????? で埋まった





誰が好き?とかではなくグループ全体が良すぎたのだ。いわゆる 箱推し って言葉がぴったりだった。そして、また彼たちのバンドを、彼たちが語りかける音楽を聴きたいと思うようになった。




そして、夏もチケットを取ってしまった。
いや、取らずにはいられない状況になった。
頭の中は彼たちの音楽で染められたから。
ちゃっかり末澤の誕生日のチケットを抑え
ちゃっかりその日だけは末澤担の気持ちになり
ちゃっかりと祝った。






その公演で、出会ったのがヨシコ






初めはなんじゃこのおなご!は!って思った





でも見れば見るほど味が出た





でもその時も末澤の誕生日を祝えたってことだけで満足だった。



箱推しという沼には片足どころかもう両足どっぷり浸かった夏だった。



秋、よしこを思い出し彼の演技がみたいと思いチケットを....ってなったのに来たのは落選の通知。そっか、まだ私に彼を見るのには不十分なのかと思ってしまった。けど、有難いご縁がありチケットを譲ってもらった。当日美容院にまで行って気合いを入れた。気合いを入れすぎて眠たくもなったけどそれでも、あ....この舞台よかったと思ったり、晶哉のことをもっと知りたいとも、見てみたいとも思った。パンフレットを買わなかったのが後悔という言葉を残した










買えよ!!!過去の私!!!!










そして冬のツアー。



また難問にぶち上がってしまった。



団扇を持たなければいけない現場だったこと。
持たないって選択肢もあるけど、団扇を持てる現場は久しぶりにだったし、もしかしたらそうそうないかも(松竹座を生きてきた人間ならわかるかも)と思ってしまった。



持っていたチケットの前日の公演には佐野晶哉が出演していない事件が起こり、何故かショックを受けた。(風邪だけは本当に仕方ない話)しかし、当日のメールには出演の文字が入ったメールを見ては喜んだ。




当日は一部も二部もチケットを抑えていた。二部には末澤担と入るため必然的に末澤を持つと二人で決めていた。そしたら....一部はどうしようと頭を悩ませた。だけど、とりあえず春からいや、正確に言えば滝沢歌舞伎から可愛いなこの子ってなってた、大晴を持った。









なのに、、幕が開けて曲が少し進みメンバーが2人組に別れて曲を歌い出した時に沼へのカウントダウンの始まりだった。








初めのリチャと晶哉の組み合わせ見た時は
ほう、珍しい組み合わせだなとしか思わなかった。





なのに曲が始まると彼たちの歌声、そして晶哉から目が離せなくなっていた。








......何この子.......???????








表現力どうなってるの???やばくない??









頭を抱え込んだのにその後のコントでまた頭を抱えることになる。



よしこ!?!?!?





よしこやばくない?いや、もうめっちゃいいキャラクターじゃん。めっちゃいい味出してるやん。なんで今まで隠してたの?って。









その公演はどうしても晶哉から目が離せなくなしまった。








二部も末澤って団扇持ちながらも結局目で追いまくったのは目を奪われたのは現にも晶哉で。
もっと彼を見たいもっと彼を知りたいもっと彼の個性がみたいもっと彼の笑った顔が見たいドラムがみたいと思ったのも間違えなく佐野晶哉だった。






晶哉って....確か.....ってなった。





コバルトブルー.....?


晶哉の歌うコバルトブルーが凄い好きだったし、すごい歌が上手いって思っていた。当時の私の心を掴まれたのも覚えている。けど、好きな子という軸があったので晶哉には落ちなかったのも。(あの当時、晶哉が歌ってたコバルトブルーを聴いただけでカラオケで歌ってたのはここだけの話。それぐらい晶哉のコバルトブルーが好きで心を踊らされてた)



そんな冬のツアーからどっぷり彼の沼に落ち、団扇を急いで買って!!と友人に連絡し、私の心の希望が見えた2019の冬。





年明けのコンサート









いや、もう、普通に晶哉って団扇作ってもらっては普通に晶哉って団扇を持っていたよね









ヲタクの行動力凄まじい。
Aぇには確かに沼に落ちてはいた。
でも担当が決められなかっただけ。
それだけの話なのに。




1ヶ月経たずして過去のAぇの雑誌を読み漁りまいジャニを見直し、できる限り晶哉の情報を漁った。








ヲタク怖ぇ!!!!!!










って私もなった。






そんなとんだ怒涛の1年間を過して思ったことはヲタク楽しいに尽きる。私生活が楽しくなるよ。彼の為に仕事頑張ろとかお洒落しよとかまた思うようになった。生きる活力って言葉が1番かも。結論何が言いたいかと言うと、沼に落ちてよかった。出会えてよかったって。担当が変わったのにも関わらずそれでも周りのヲタクは優しく話聞いてくれるし、よいしょしてくれるし、変わらず接してくれるしって。有難い話だよほんと。周りには本当に恵まれたなって。


これからもきっと好きだしこれからもずっと沼だよね。きっとこれからも好き!とか語力失って狂ったツイートしかしないかもしれないかもしれないけどお付き合いしてください



はあ、、晶哉ちゃん...好きだ!









一生担当で居させてくれ!!





(完)